2023年6月17日 当たり前のようで当たり前でない幸せ どっしり構えて充実した時間を過ごす 変に焦らず変に楽観的にならず

起床は朝8時くらいか。

寝たのが4時半だったので、あまり寝ていない。

前夜は妻も私も夜に呑みの予定があった。

うちは子供がある程度大きい(といっても10歳と8歳)のと、割としっかりとしているので、子供だけにして出かけることは多くはないが少なくもない。

 

妻は最近酒に弱く、外で飲み会となるとだいたいよくわかんない状態で帰ってくる。

この日も夜中の一時に一緒に呑んでいた仲間から、さきほど電車にのったが、途中駅で下車することになると連絡が。

まだ電車に乗れた確認ができているだけましだ。

こちらはしっかり帰ってくることに対して期待もしていない。

ただ心配をして妻にLINEをしてみたところ、2時過ぎに既読にはなった。

「おお、よかった。生きてはいるようだ。どこにいるのかな?」なんて思っていたが、一向に返信はなく、返ってきたのは朝の4時。

かくいう自分は家の近所の飲み屋で10個も下の女の子に捕まり、呑み続けていたという。

これは何気ない毎日だけど、そんなのをお互い良しとできる我が夫婦は、まぁ仲が良いなと感じる。当たり前のようで当たり前ではないことをしっかり感じていきたいな。

 

これと同様に当たり前のような当たり前でない幸せというのはたくさんあると思う。

子供が2人元気なこともそうだし、呑み場が近くにあることだって、こうやって自分を振り返るための日記を書くためのHATENAというサービスがあることも。

 

これから独立するわけだが、

独立ができると思えたこと、また実行できる環境にあることも幸せなことだ。

もちろんこれからは自分の力で生きていかねばならないから、楽観的なことばっかりは言ってられないが、こういう勝負に出られることが大変幸せなことだ。その幸せをしっかりと噛みしめて、真摯に誠意をもってまっすぐ進んでいきたい。

 

とはいえ、私の仕事はファイナンシャルプランナーである。簡単にいえばお金のアドバイスを人にする仕事。お金というのは生きている限り誰にも関連するもので、つまり日常的なもののため仕事とプライベートの狭間があまりない。

 

ここをとらえ違える最悪これまでの友達などを無くしてしまうかもしれない。

焦れば焦るほど、うまくいかなくなることはわかっている。

とはいえ独立するにあたり、自分で生きていかねばならない。

まずはしっかり土台を整えよう。

 

時間もお金もかかるかもしれないが、それは良い投資になると思う。

短期的には不安になる。その不安は持っておいた方がいいとも思う。

しかし、自分の人生の中で大学5年の留年した一年間も

博報堂から今のFP事務所に移る1年間もじっくり稼働した一年だった。

そしてその一年があったから、今の自分がある。とても大事な時間だった。

 

もちろん大学の時は親のお金を頼ったし、

博報堂のときは欠勤手当などもあったし、

今は完全に定期収入がなくなるため、あの時は違う。

そこはもちろん真剣に考えなければならないけど、それでもここで余裕をもって人生を過ごせるかどうかは大事なポイントになってくる。

 

しっかり自分のやるべきことを見定めて、

意味ある充実した時間を送っていこう。

今日はこれから、2024年2月公演予定のコモンビートの体験会。

実に12年ぶりである。

独立を機に一つ新たなステージに。あの時とは違う別のステージに。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年6月15日 新しいPC届く 税理士決定 先輩と四谷で

これから自分の整理も兼ねて日記をつけていく

15日も何気ない日だったが振り返るといろんなことが進んだ日だ。

 

まず、新しいノートPCが届いた。

これまでは会社のPCを貸与されていたが、独立に伴い自分で用意する必要があり

先週いそいそとヨドバシカメラに買いにいったのだ。

今度からこいつが自分の相棒になっていく。

自分が使いシステムはもちろん、業務委託先のソフトなども導入していかねばならない。

 

また税理士も決定した。

独立するにあたり税理士との打ち合わせを重ねていた。

これも初めての作業になるため何がどう必要なのかは全くわかっていなかった。

結果、隣駅に事務所を構える比較的大きい税理士事務所にお願いをすることになった。

この度独立するにあたり法人を設立するが、自分のビジネスモデル上、どうしても個人のほうに売り上げが多く上がってしまう。またこれまでの確定申告は少々雑にやってきた(白色だった)ため、実は青色申告がはじめてになる。入力→決算→申告、この過程をしっかりやっていく必要があるため、個人も法人も両方アドバイスしてくれるところを求めていた。

担当の方が幾分年上なので、そういった懸念はなくはないが、真摯に対応してくれているのも感じ取れたので、しっかりお付き合いをしていこうと思う。

 

そして夜は17時から大好きな先輩とお酒を飲んだ。

先輩も誕生日を迎えたり、夏にはお子様が生まれたりと人生のイベントが多くあり、大変そうだ。

 

この先輩はかっこいい。

何がかっこいいかというと、芯がぶれないところだ。

変わるものに対応していく柔軟さももちろん大事だが

本質的にぶれないところをしっかり守り抜く、これも大事なこと。

言ってることとやってることが違う!という言葉はたまに聞くが

自分がいったことを自分がやりぬくというのは難しいもので、それが体現できている人はあまり多くない。

情報が溢れる社会の中で自分の中のポリシーをしっかりもち、それをぶらさずこうどうしていく力、これはずっと大事なことだと思う。

 

今回自分は独立という道を選んだ。

勢いもあるが、考えがないわけじゃない。

もう退路は絶った。あとは前に進むだけだ!

Don't Stop! Go Forward!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか自分が独立するなんて

【まさか自分が独立するなんて】

まさか自分が独立するなんて思ってもみなかった。

公務員家庭で育ってきて

まじめに勉強をして国立大学にも入って

体育会系で育ってきて

大企業の組織陣として育ってきて

基本的に上のいうことが絶対という環境で育ってきて

そんな自分が独立するなんて思ってもみなかった。

 

本当に人生は何が起こるかわからないですね。

 

 

こんにちは、38歳のquickcyborgです。

大学ではとにかくアメリカンフットボールをしていました。

機動力のあるサイボーグのような人間になりたいと思い、メールのユーザー名をこれにしたのがきっかけ。かれこれ20年の付き合いとなったquickcyborgです。

 

この度、私は独立することになりました。

ファイナンシャルプランナーとして、一人で生きていきます。

まさか自分がこんな判断ができるようになるとは・・・

 

大学では勉強もそっちのけでアメフト三昧。

体育会のノリと勢いだけで、新卒では大手の広告代理店に入社した。

 

ここではいわゆるメディアの仕事をしていた。

いろんな仕事をしてはいたけど

パワポも使わず、エクセルも使わず、

得意なことは何?と聞かれたら真面目に「一気飲み」と答えていた。

特段これといった資格もない。

コミュニケーションにはそれなりの自信はあったけど、

それは対外的に主張できるものでもない。

自分はこの先ずっとどこかの組織に属して生きていくんだと思っていた。

 

別に自分に自信がないわけではなかった。

だけど、世の中をこんな風に変えていきたい!とか、

大金持ちになりたい!とか

そういう感情を強くもつこともなかった。

八方美人ではないけど、人の意見を尊重してそれに合わせて生きていくようなタイプだった。

だから自分が独立するなんて思ってもみなかった。

 

転機は9年前の28歳。

広告代理店での働き方が大きく変わり、まったく水が合わなくなった。

 

語弊があるかもしれないが、一般の仕事に比べて

広告の世界はヤクザ気質なところがある(自分はそう感じている)

その最たる例がテレビ業界だ。

最初は新聞業界だったので、問題はなかったが

新聞に慣れていたこともあり、初めてのテレビは衝撃だった。

 

テレビに関わる人たちは、だいたい新聞を馬鹿にしていた。

事実メディアとして売上が大きいのはテレビだし

新聞は紙がベースという特性上

今の時代に合ってるか?と言われると、そうではないメディアだ。

 

しかし、馬鹿にされることではないと思う。

(言ってしまえば自分で別に新聞を選んだわけではないので、馬鹿にされる筋合いもない)

また馬鹿にしてる人ほど、昇進をしていた。

上にいる人ほど自分の感覚からすると変な人たちだった。

 

しかも自分はあまりテレビを見ないで育ってきた。

だからテレビにそもそもあまり興味がなかった。

(さらにいえば広告にさほど興味もなかったので、なんで広告代理店に入ったんだよというのがそもそも論になる)

 

興味があまりない上に、尊敬も信頼もできない人たちのもとで、ヤクザ気質な業界で仕事をすることがきつかった。

 

2014年7月に限界を超えて、そこからしばらく会社を休むことになった。

 

ここから約1年仕事を休むことになるのだが、

この1年はとても有意義な1年だった。

 

これまで死ぬような勢いで

いわゆる”社畜”として仕事していた中で

急に人生の大半を占めていた仕事が目の前から無くなった。

 

突然、大きな自由を感じ

好きなように生きてみた。

 

毎日ごろごろしながらyoutubeを見ていた。

朝からジムにも体を鍛えた。

とにかく好きに生きてみた。

 

でも、だらだらした生活なんていうのは1か月も持たなかった。

 

これまで学生時代も含め、勤勉に生きてきた自分

それは無理をしてるわけでもなく、自分らしかったんだろう。

 

だから、だらだらなんてできなかった。

 

とはいえ、仕事を休んでいる。

正直休んだ時から、広告の世界に戻ろうとは思わなかった。

だってそもそも興味がない中で、ノリと勢いだけで選んだ会社だったから・・・

 

じゃあ自分は何がしたいの?

世のため、人のために何をしていきたいの?って

凄く深く考えた。

 

そういえば自分はもともと教育に興味があったんだった。

だから新卒では「学習塾」も受けていた。

(内定ももらっていたが、いけるなら最初は大手企業がいいだろうと思い、内定は蹴り結局広告代理店を選んだ)

 

そこで先輩の紹介も受けながら

とある保育園でボランティアをしてみることにした。

ボランティアもしながら、実務経験を経て

自分が何をしたいのかを深く考えた。

 

とある日に10年来の友人と話をした。

その時彼が突然に「今FPの資格を取ろうと思っているんだよね」と話し出した。

この時、自分には強い衝撃が走った。

 

FP。それはファイナンシャルプランナーのこと。

なぜかわからないが、自分はずっとFPに潜在的に興味を持っていた。

社会人1年目でユーキャンの通信講座でFP講座を申し込んでるくらいだった。

(この時は忙しさにかまけて開かずの教科書のようになっていたが・・)

時間があり自由な今

自分もFPの資格を取ろう!と急速に動いた。

それとともにFPの仕事にも興味が出てきた。

 

そんな矢先、知人の紹介で

「無料でファイナンシャルプランナーに相談ができる」という機会を聞いた。

自分は投資用マンションを所有していて、それをもっているオーナー向けサービスの一つにそれがあった。

今まで何度か案内は受けていたけれども、今こそこの相談を受けてみよう!と考えた。

ちょうど将来のことも心配したときだったし。

 

そこで出会ったのが、今のFP事務所の代表だった。

自分は「いくらの年収だったら転職しても大丈夫か?」を相談した。

広告代理店はよくも悪くも年収が高かった。

28歳の一気飲みしか取り柄のない自分ですら800万から900万はもらったいた。

だから転職するとなると、年収ダウンすることがほぼ明白だった。

 

年収が100万下がれば、月にならすと8万以上

200万下がれば、16万以上・・・

300万下がれば・・・もはや生きていくことなど不可能だろう

 

こう決めつけていた。

 

しかし、これは大きな間違いであった。

なぜなら、人のライフプランは年収だけでは決まらないから。

 

大事なのは収入と支出のバランス。つまり収支。

収入が下がっても支出でしっかりバランスが取れていれば別に問題はない。

自分の場合、結婚も比較的早く、父親になったのも早い。

また妻もしっかりと正社員で働いてくれている。

また27で自宅を購入していたので、教育費や住宅費が人生の後半にあまり重たくない、というのも大きな要因だった。

 

結果として「年収いくらだったら転職してもいいのか?」に対する回答は

「300万円」だった。

 

300万円・・?

たったのそれだけでいいのか・・・?

その年収だけあれば、俺は転職してもいいのか・・・?

 

これは本当に衝撃の回答だった。

300万でいいならどんな仕事でもいいじゃないか。

お金のことなんて気にせず、本当に自分がやりたい仕事に取り組むことができるじゃないか!

 

これまでずっと靄のかかった視界だったが

急に突風によってそれが吹き飛ばされ、視界が大きく開けた。

青天の霹靂とはこういうことをいうのか。

自分の中の世界観が大きく変わる瞬間だった。

 

ほんとうにこれは大きな感動だった。

それと同時にこの感動は自分だけのものとしてはもったいないと思った。

むしろこれを人に届けることに意味がある。

俺もファイナンシャルプランナーになりたい!

こう考えるようになった。

 

コンサルしてくれた代表に対し、まさかの

「御社は人を募集していませんか?」

逆ナンパをしかけたのだった。

 

今であらば自分のような経験もなければ資格もない。

そんな人間を採用することはまずないだろう。

ただ当時の今の事務所は、創業して数年。

猫の手でも借りたいようなそんな状況だった。

 

FPの世界はシビアだった。

完全実力主義で、収入は人それぞれ。

無資格未経験の自分が飛び込むには相当ハードルが高い世界だった。

 

だけど、今の自分はやる気にみなぎっている。

コミュニケーションには自信はある。

FPに必要な計算力にも自信はある。

また300万でいいなら、絶対になんとかなる!

 

覚悟を決めて、この世界に飛びこんだのが29歳の秋だった。

 

そこからはとにかくがむしゃらに働いた。

自分のスケジュールを埋めるのも自分次第。

暇な時間など俺にはいらない。

得られるすべての知識を吸収してやる。

 

広告代理店時代とは全然違った。

もちろん定期的な打ち合わせもあるが、ほとんどのスケジュールは自分で決めることができた。

俺はこの時から社畜生活を卒業した。

 

そこからもあっという間に月日は流れた。

無資格未経験のスタートだったけど、

2019年にはCFP資格を取得。

CFPはFP協会が認定する最高位の資格だ。

またその資格も利用し、個別相談業務もセミナー講師業務もたくさんこなしてきた。

気づけば時間にもしばられない、お金にも縛られない、本当に自由な生活を手にすることができた。

 

しかし、人間というのは不思議なもので(俺だけか)

このストレスのない生活自体をストレスに感じるようになったのだ。

(刺激がほしい・・・刺激が足りない・・・)

 

FP業を極めたわけでは到底ないが、

なんだか自分の中のある一定のパターンが見つかってしまい、そればかりしていることが、つまらなくなった。

なんだかいつも同じことをしてるだけ・・・

もっと成長したい。今までとは違うことがしたい!

 

そんなタイミングでグループ会社の代表をやってくれないか、という話が舞い込んできた。

 

俺が社長・・・?

正直興味があったわけじゃなかった。

これまでの小さいレベルでだが「長」とつくものはいろいろとやってきた。

しかし、その都度自分にはそれが向いていないなと感じていた。

これまでの経験から向いてないと感じているのに、

ビジネスの世界において長はしたことがなく

またやりたくても組織の社長などできることじゃないという事実から

好奇心がまさり社長の道に進むことになった。就任したのが2021年11月だった。

 

最初から波乱ばかりだった。

そもそも就任するまでの体制づくりが大変で大変で

どういう方向性のもとどういう体制でやっていくかという点でいろいろ考えた。

 

組織が変わるタイミングは人の出入りもあるタイミング。

立て続けに何名もの人が退職することになった。

 

スタートするまでが本当に大変だったが、スタートしてからがもっと大変だった。

個人事業主たちをトップダウンで管理する、なんてことは無理だったのだ。

副作用のほうが多く生じた。

もちろん自分が不得手な部分があったゆえもあるが、まぁうまくいくことのほうが少なかった。

気づけばまた人が辞めていくことになっていた。

 

組織を強くするために、

そのために一人ひとりの実力を強化し、

メンバーを増員していく、

こんなことを考えて今の体制になったはずなのに

結果として人は減り、実力のない新しいメンバーが増えた。

 

この結果を受けて、やろうと考えたトップダウン体制は廃止しようということになった。

 

ここで出てきた問題が自分自身の立ち位置だ。

組織全体を考えれば、やはり個人事業主たちを管理することには限界があるので

元の体制に戻すべきである。

しかし、管理する(その経験を積む)ことを目的に社長についた自分からすると

一体今自分は何をしているんだろう、となった。

プレイヤーでもマネージャーでもない

とくに権限も持ち合わせない雇われ社長

ストレスは多くなり、結果収入もプレイヤー時代に比べれば半減している

 

一体自分は何をしているのか

 

考えに考えた末、自分を社員戻す提案をした。

後任の代表案も用意し、その場合の対応策も自分なりに用意してプレゼンした。

それはびっくりするほど、想定外な結果で終わった。

大激昂されて終わったのだ。

 

もちろん自分のことを考えての行動ではある。

でも少なくとも自分のことだけを考えたわけではなく

会社のことを考えての提案だった。

 

人が減り、売り上げが低迷する中

営業ができる自分を営業しないポジションにおいておくことは非生産的である。

ただそうなると、代表業を誰がやるのか

採用やら教育やらは誰がやっていくのか。

全部代替案は用意していた。

 

この瞬間からうちの代表を人間として信頼ができなくなった。

それが2023年3月13日のことだった。

 

そこからというのも怒涛だった。

この会社は辞める!と決めたものの、社長を任されている中で、やはり別のものを立てる必要はあった。あとは引き継ぎなどのこともあった。ただそれ以上に、自分でこれまで採用して教育してきたメンバーに対する筋などもあった。感情的な部分ももちろんあるので、幾分冷静にもなり、一度はやはり社員に戻って活動の幅を広げることも考えた。

ただ社員にもどった場合の自分の境遇は新入社員と同じことがわかった。

これまで社長やりながらも片手間営業をして売り上げていた部分があった。

その分ですら役員報酬でもらいきっていない。いわばプール金は少なくとも自分のものになるんだと思っていた。それがないと言われたときに、金の面でも信用ができなくなった。

 

ただ最初にそんな話は確かにしていない。

そりゃ社長になったばかりなのに「仮に自分が社員に戻った時に、どういう条件にするか?」なんて詰めるわけもない。見事にうまく利用されたな、と感じざるを得なかった。

 

そんな怒涛の日々だったが

ついに終着点が見えた。

2023年6月末をもって、退職することで合意が取れたのだ。

 

過ぎてしまえば、たったの3か月だったかもしれないが

恐ろしく長い3か月だった。

 

無事退職が決まったことは素晴らしいことだが、

ここからが始まり。むしろ始まってもいない。

 

これから自分は独立をしていくのだ。

一人でやるということは、すべて自分でやらなければいけないということだ。

営業も、マーケティングも、名刺づくりも、保険証つくりも、何もかも

 

次からは独立に向けた怒涛の日々のことを少しずつ記録できればと思っている。